1995年当時、運動部主将会に参加されていたボクシング部OB会長の丸山圭介氏(故人)、漕艇部監督の藤原潔氏、アメリカンフットボール部監督の津尾佳典氏に、ウェイトトレーニング部顧問、ハンドボール部コーチとして指導いただいた三浦孝仁先生の発案と働きかけで、体育会OB・OG会の連合組織の設立を目指す。大学4年生であった私は初回の懇親会から参加し、草創期の事務局を担当した。  陵門体育会の命名は、当時文学部に所属されていた倫理学がご専門の高橋文博教授に助言をいただいたものとされる。高橋教授には、後に、ハンドボール部顧問であった元薬学部長の篠田純男教授の退官に際してハンドボール部の顧問に就任いただくことになる。  陵門体育会設立から数年後、東京への転勤を機にハンドボール部の後輩であった田村薫氏に事務局を託した。その後、私の出身母体であったハンドボール部は、当時のOB・OG会(津島送友会)トップの考え方や、当時の陵門体育会における組織運営上の考え方の違いから退会することになり、現在に至る。

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